【自己紹介】学部から博士課程進学・うつ病まで

筆者は理系の大学院博士課程です。順調に行けば2022年に卒業です。

2022年に博士号を取得しました。(追記:2022年4月8日)

うつ病の観点も入れつつ経験を時系列に沿って書いていきます。

学部時代

私大学の理系の学部に入学しました。理系の中でも化学系です。

授業は、なんとかこなしていけました。特に専攻科目や実験が始まってから忙しくなっていった印象です。正直、やる気がでないなんてこともあり、実験のレポートを徹夜で仕上げるなんてこともザラでした。いくつか授業の単位は落としたので成績 (GPA) は低かったですが、実験のレポートの単位は落とすことなく、そのため留年はすることなく進級していきました。

このころから特徴として、タスク管理が苦手というものがあったと思います。

私の通った大学では4年生の進級の時点で研究室への配属がありました。その研究室への配属の前に、研究室への見学がありましたが、成績が低かったこともあり、基本的にマイナーな研究室を中心に見て回りました。そして、研究室希望の出願の第二志望に配属が決まりました。違う研究室へ配属されていれば、人生も大きく違ったと思っています。ちなみにこのころから、成績は低いのに、どの研究室でもなんとかやっていけるだろうという思いと、博士課程に進学して研究者になるのもいいなという思いはありました。

春休み明けの研究室生活、初日や二日目は研究室キツいなと思うときもありましたが、自然と慣れていきました。

学部4年生の頃はちょびっと成果を出せました。研究テーマをもらい、分からないなりに実験を進めていきました。その結果、論文になりそうな程度には研究を進めることができました。また学会でも口頭発表をすることができました。(ただ、その論文は修士課程時代に論文の形にまとめ、投稿したもののrejectされ、まだacceptには至っていません。)

修士課程への進学は、周りの大勢が修士課程へ進学するという空気もありましたし、博士課程も考えていたので、進学することをあまり悩むことがありませんでした。

修士課程1年(M1)時代

 修士課程の1年生は博士課程に進学するかどうかを悩む時期となりました。研究も進めていきましたが、授業やインターンシップで忙しく、実験の時間が減っていたのは事実だと思います。

ちなみに博士課程の進学は、就活をするかどうかが大きく変わるので、修士課程1年の終わり頃の2月には決めないといけないと自分のなかで思っていました。

実際に、2月ごろに博士課程に進学することを決めました。

修士課程2年(M2)時代

実験としては、指導教員から修士課程1年の頃の実験のやり直しを命じられました。

しかし、実験はあまり順調にはいかず、徐々にやる気が減少していきました。

測定室(人があまり来ない場所)で、測定もせずにぼーっスマホをいじっていたり、なんて時間も増えていました。

また、先輩との性格的な相性が悪かった、業績がなかったなどの要因から、研究室内での居心地の悪さを感じるようになりました。

修士論文を執筆するころには、やる気が出ないで、とりあえずエナジードリンクを飲んでやる気を絞り出して書き上げました。でも、実は修士論文を書いている最中は、やる気が出ないという理由でトイレの個室に一時間くらいこもってスマホをいじっていたこともありました。

この頃には、おかしいとは思って大学の健康相談室で相談をしてもらっていました。最初は”なんか集中力がない”といって相談をはじめてもらっていたと思います。

個人的には、(今もですが)自分はADHDなのではないかと疑っていて、その影響で集中できないのだと思っていました。なにか、助けになればと思って大学の健康相談室に相談にいきましたが、相談員もADHDの可能性も疑いはするが、そもそも人間そんなに集中は続かないものだし、これまでもギリギリでもレポートなどをこなしてきているので大丈夫だろうっといった回答をされました。

修士論文自体はなんとか、力を絞り出して書き上げることができ、とりあえず相談も打ち切りになりました。

博士課程1年(D1)時代

この頃から博士課程として、プロとしてやっていくためには、私生活や余暇を犠牲にして、真剣に研究だけをやらないとと思い始めていました。

むしろ、M2の頃が調子が悪かった分、さらに頑張らないと思っていましたし、ゲームをする時間だとかそういった時間は無駄な時間だと切り詰めていきました。今にして思えば、無駄ではなく、そういったゆとりがあることでかろうじて体を壊さずにやってこれていたのだと思います。

 さらにギアを上げて頑張ろうと始めたものの、やる気がでない、能率も悪い、集中も続かないといった症状が出るようになっていきました。

5月頃には、なにを取り掛かるにも腰が重い、一つのことに集中ができず、効率も悪い、そのためタスクに長時間かける、長い時間向き合っているため、やる気も出ないといった悪循環に陥るようになってきました。

また、夏頃には寝付きが悪くて睡眠時間も短くなったり、夜中に寝ている最中に目を覚ましたりといった不眠の症状も出始めました。

ついにおかしいと思い、うつ病に思いあったのが7月ころ、病院に向かったのは8月のことでした。

精神科に行き、医者の診断を受けると「うつ症状である」と診断を受け、「一ヶ月休学したほうがいい」と勧められました。正直、休学したら留年になるんじゃないかと思っていた私は休学は乗り気じゃない旨を伝えると、通学しつつ薬を飲んで治療をする方針となりました。

その後、指導教員にはうつ病であることが伝えたものの、ほかの研究室の人にはきちんと伝えないまま、研究室生活を送っています。

うつ病の薬や睡眠薬を飲みはじめて、だんだん症状は楽になったものの、一度はまた症状が悪化したように感じ、薬を変えたりしながら、かろうじて博士課程を過ごしています。

うつ病の症状の一つらしいのですが、特に朝が辛く、遅刻常習犯やたまに一日中やる気が出ず無断欠席といった不良状態ではありますが、退学にはならずに過ごせています。

私はうつ病になったという点では恵まれていないとも言えますが、うつ病になっても博士課程を続けられているという点では運があるともいえます。

博士課程2、3年(D2、D3)時代(2022年4月8日追記)

博士課程の2年や3年に進級するにあたって、特に進級の判定がなかったことと、単位は研究活動の単位であったため、進級でのトラブルはありませんでした。

博士課程の2年になったところで、ちょうど新型コロナウイルスによる緊急事態宣言などが直撃し、4月、5月は研究室に通うことが制限されるようになりました。これは実験が進められないという点では、研究生活には影響はありましたが、これがメンタルに影響があったかというと、そんなことはなかったように思います。研究が進んでいないという不安はありましたし、リラックスできたかというとそんなこともありませんでした。

その後、健康診断を受けたときに、うつ病のことを申告しました。これにより、「精神障害の合理的配慮について申請をしたらどうか」と促され、申請を行いました。朝、起きれないことなどを制度を利用して、配慮してもらえるようになりました。

10月ごろからはエントリーシートの記入といった就活も始めました。その後3月には学会、5月ごろに内定をもらって就活の終了となりました。また5月ごろに投稿していた論文がアクセプトされました。ただ、こういったことがあっても、うつ病の方は、楽な時としんどい時を繰り返しながら、その都度、医者に相談して薬を飲んで調整しました。

結局10月ころに、もう一報論文がアクセプトされ、それらをベースに博士論文を執筆し、公聴会と審査を経て、博士号の取得となりました。

うつ病の薬はというと、博士号取得までにうつ病が大きく悪化しないために、医者と相談して、むしろ薬の量は増えていきました。それでも、体調のコントロールはうまくはいきませんでした。

私は、なんとかうつ病になったにも関わらず、博士号を取得できましたが、ときには信号でトラックに突っ込みたいと思ったり、首を吊ろうかと思うような希死念慮に苦しんでいたこともありましたし、パフォーマンスが下がっていくことに落ち込むことも何度もありました。決して、薬を飲んだから楽に博士号が取れたというわけではありません。もっと苦しかった人もいるとは思うので、まだまだ甘いと思われるかもしれませんが、これで博士号の取得までを公開しました。

記入した当時の心情を残しておきたかったので、うつ病までの部分はそのままに、追記を行いました。なにかの参考になれば、幸いです。