研究力の低い大学の研究機関の意義とは?

そもそも研究力とはなにかということを考えなければいけませんが、ここではインパクトファクター(IF)の高いnatureやscience、cellといった雑誌に掲載されるような流行している研究の最先端の部分の研究を行い、世界中の同じ分野の研究を行っている研究室よりも先に論文を出すことができるものを研究力としましょう。いいかえると、世界トップレベルの研究を進められる環境がある場合、研究力が高いということになります。

よく偏差値の低い大学をFランクの大学といったりしますし、そういった大学では講義の量や質が他の国立大学などと比べると劣る場合もあるようです。同様に大学の研究室の規模や機器、環境などを考慮した研究力もピンからキリまであります。一概には言えませんが、大学の偏差値と大学の研究力は比例している場合が多いように感じています。

学生の視点から見ると、同じ程度の学費を支払うのであれば、研究力の高い研究室に行ったほうが、より深く研究することができ、さらに論文や学会発表といった実績にも繋がりやすいため、研究力の高い研究室に行くことをおすすめします。

しかし、"研究力の低い研究室に意義や価値がない"かと問われると、決してそんなことはないと思います。

たしかに研究力の低い研究室では流行している研究の最先端の研究では、他の研究室にはかなわないでしょう。一方で、学会などでの経験からも、研究力の低い研究室はそもそもそういった流行の最先端の研究に取り組むよりも、世間からは注目されていないが未解明の部分が多い部分を研究しています。

例えば、最先端の研究を富士山の頂上を研究していると例えるなら、研究力の低い研究室は富士山を登る途中の道の石ころを研究しているようなイメージです。

こういった研究は大事じゃないと思う人もいるかもしれませんが、こういった流行から離れた部分の研究から思いもよらない重大な発見があると考えられます。研究室だけで見ると研究力は低いかもしれませんが、例えば国全体の研究力で見ると、研究力の低い研究室が国全体の研究力を高めるといえると思います。

最近は日本の研究室から出される論文数が減っているなど、日本の研究力が世界の中でも下がってきているといわれていますが、こういった研究力の低い研究室へ予算などが十分行き渡っていない影響が大きいのではないかと思います。